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【めっちゃ変わる】 源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B 和書

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メーカー 0c5765ccee 発売日 2025-04-13 04:29 定価 25000円
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【めっちゃ変わる】 源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B 和書

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_画像1 源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_画像2 源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_「心寧累自息」漢文・白楽天 閉じる

「心寧累自息」漢文・白楽天

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_原本の断層画像写真 閉じる

原本の断層画像写真

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_澪標・俵屋宗達 閉じる

澪標・俵屋宗達

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_澪標・俵屋宗達(拡大) 閉じる

澪標・俵屋宗達(拡大)

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_澪標・手鏡 閉じる

澪標・手鏡

源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻・大炊御門宗氏・自筆13B_源氏の君の住吉参詣 閉じる

源氏の君の住吉参詣

令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。Y3B3-240517 レア[明治聖典 大正13年 木村正]明治天皇御製。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。講談社の絵本★「漫画と學藝會」昭和13年2月 井上一雄 田川水泡 林田正 芳賀まさを 黒崎義介 澤井一三郎 講談社。

原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。長谷川伸旧蔵書 (中国・清)筆錬閣編 石井南橋序 服部誠一評点『近体奇説第一編 二橋春話』(全2冊揃)明治10年 文永堂刊 明治時代和本 唐本。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。☆E0329和本江戸宝暦7年(1757)随筆「南嶺遺稿」4冊揃い/多田南嶺/古書古文書/木版摺り。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(2冊セット=第3冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。現在の今上天皇と系譜がつながっている。Y3B3-240517 レア[千字文]。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。C61-069 大岡仁政録 壱二 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。玄々堂松田緑山鐫『新刻銅鐫 洋学童子教 全』明治3年 蘭香亭蔵版 明治時代和本(元袋付・畳物一舗)小型銅版刷物 蘭学 アルファベット教材。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。蒋介石 書道 対聯 工藝品 中正 検索:満蒙 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。満洲事変 未公開写真 検索⇒ 抗日連軍 国民党 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。久保田米僊『閣龍世界博覧会美術品画譜 第二集』明治26年 大倉書店刊 彩色木版画譜 シカゴ万博(コロンブス世界博覧会)明治時代和本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。張華撰『正続博物志』(全二十巻揃)天和3年刊 江戸時代和本 東洋医学 本草学 博物学 唐本漢籍和刻本 北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。C61-074 小学理科新書 甲種 巻之一 全体的に汚れ 多数有り レトロ。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。送料込! 希少 太平洋 太平洋社 37冊分 明治34年10月14日~明治35年7月28日 第2巻 41~52号 第3巻 1~30号 抜け有 状態良好 新聞。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。南画入門書!/[芥子園畫傳・初集&二集・合本二冊]/康煕十有八年/中国字画。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。Y3B3-240510 レア[百人一首基箭抄 上中下 3冊セット 享保6年 田原屋平兵衛]小野小町 紀友則 山部赤人。また、各巻ごとの書かれた年については不明。曲亭馬琴作『皿皿郷談』(2冊=第2編,3編)明治16年 滑稽堂梓 明治時代和本(和装活字本)絵入本 読本 印記「後藤蔵書」「小説貸本舗兔堂」。従って、応永五年とは、書き始めの年である。和本 江戸時代 通俗西遊記 初編 (六冊) 一~六。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。観旭軒遺稿 木村容斎 上下揃 明治24 儒教儒学朱子学 漢文漢書漢籍 川上善兵衛 新潟県ワイン 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本NZ。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。古建築装飾紋様集成 草木編 近藤豊著 1972年(1974年第2刷) ■送料無料。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。會津戊辰戦争 白虎隊 娘子軍 高齢者之検討 増補 歴史資料 会津 会津藩 復刻版 古書 歴史書 昭和 大正 明治 慶応 幕末。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。古今美術参考 絵本 図画 画譜 検索⇒ 図鑑 武鑑 名鑑 銘鑑 紋章 図版 服飾 紋様 文様 家紋 武家 公家 王家 武道 図会 傳書 装束 佛像 大名。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。1880年 張州英画譜 多色木版摺 検索⇒清朝 海派 朱印譜 唐画 南画 山水画 八大山人 書画家 唐本漢籍 金石篆刻 木版画 木刻本 拓本 古墨支那。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。昭和五年陸軍特別大演習・記念写真帖/特別大演習地域略図・空より見た岡山市の中心地・天皇陛下福山市役所へ着御・犬養政友會総裁。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。岡部嶺男直筆サイン入 北川靖記編『嶺男作品集』昭和46年 嶺男作品集刊行会刊 限定400部。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【B0046P016】希少 古書 村山半山編輯 「 東湖藤田先生遺文 」 明治12年出版御届 藤田東湖 村山恒二郎 小林二郎 古本 書籍 史料 資料 水戸。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。中嶋流鉄砲秘書 文政元年 写本 江戸時代 砲術 大砲 火縄銃 兵器武具 鉄砲 戦国時代軍事合戦兵法陣形武士火薬 古書和書古文書写本古本OM。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。戦時中の貴重な本 第二回・聖戦美術展集/昭和16年/陸軍作戦記・日本画・洋画・彫刻 戦時中の本 古文書 貴重 古書 和書 戦争。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。即決 1751(寛延3)年『天経或問註解図 全3巻揃』天文暦学書、江戸期和本、星図、地球二十八宿 星座早見盤Astronomy Planisphere Star map。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。1880年 漢画早学 1函4冊全 検索⇒ 南画 支那 木版刷 多色套印 蘭竹譜 梅菊譜 画譜 漢詩 漢文 漢学 木刻本 唐詩 書道 古墨 墨蹟 拓本 朱印譜。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。★H540和本江戸文化10年(1813)長州藩藩校明倫館「秋試文(学宮秋試)」1冊/作文試験/成績/古書古文書/手書き。


 出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。C61-060 桜の御所 下の巻 春曜堂版 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。第14帖。参禅のしをり 大正9 臨済宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗戦前明治大正古書和書古文書写本OM。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。国体と基督教 大谷美隆 昭14 キリスト教 法学憲法法律学 新約聖書 神学宗教学カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン宣教師戦前OB。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。長谷川伸旧蔵書 『戊辰戦争始末 全』大正6年序 旧長岡藩戊辰戦死者五十年追悼会刊 北越戦争における長岡藩士戦死者名簿 北越戊辰戦争。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。高達折吉編『新撰活用字典 全』明治27年 翰香堂刊 印記「長野県北佐久郡平原尋常小学校印」明治時代和本(銅版本)漢字辞典。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。完品 尾形光琳作品集 上村益郎編『光琳』限定800部 昭和15年 高見澤木版社刊 彩色木版画14枚入。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。笠亭仙果作 柳亭種彦校合 歌川國貞画『肱笠雨小春空癖』(3冊)天保4年 永寿堂刊 江戸時代和本 草双紙 絵草紙 浮世絵 錦絵。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。C61-076 大岡仁政録 十 十一 全体的に汚れ・レトロ。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。畠山郡興(畠山泰全)『三楠実録』(全22冊揃)享保6年 須原茂兵衛他刊 江戸時代和本 楠木正成 軍記物語 伝記物語 実録。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。岸田國士 自筆草稿「「紙風船」について」(真筆保証品)400字詰全2枚完 『演劇新潮』初出の戯曲について 岸田国士。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。円光大師・平重衡問答書/「円光大師法義文」「三位中将平重衡卿手書」/明治13年/知恩寺発行/2巻。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。熊本十代藩主が家臣 松見卓右衛門に与えた100石の知行宛行状と知行目録の2部。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。☆E0312和本江戸文政5年(1822)和歌「百人一首図絵」2冊揃い/田山敬儀/絵入古書古文書/木版摺り。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。i10●Nicolas Boileau-Despraux ニコラ・ボアロー=デプレオーに関する古い洋書書籍 3冊 1821年 17世紀フランス文学/フランス語/詩 240314。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。古文書 和書 栗田勤 「東湖先生正気歌講義」 藤田東湖 水戸藩 晦屋先生 家塾輔仁学舎 茨城県 偉人 水戸藩 (レターパックライト発送)。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。一草亭詩存 非売品 1939年 検索: 西川一草亭 去風流生活 華道家 生花 九条武子 富長蝶如 茶心茶語 夏目漱石 漢詩 漢文 漢学 漢籍 大谷瑩誠。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。帝国絵画番付 印譜 朱印 大正7年 荒木十畝 池上秀畝 池田輝方 上村松園 河合玉堂 鏑木清方 古書 ②E。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。隆尭『十王讃嘆修善鈔』(全二巻二冊揃)享保元年 澤田吉左衛門刊 江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書 岐阜県・安楽寺旧蔵書。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。Y3B3-240517 レア[文章軌範 共六 3~7 まとめて2冊セット 正文章軌範評林注釈 宋廣信 明太史] 老子。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。近江彦根藩領出流原村古文書●明治21年 出流原村地誌編輯材料取調書元本 63丁 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240131 150。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。1851年 天台四教儀 木版摺 検索⇒金剛経 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 和本 木版画。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。C61-064 浪六著 常世五人男後篇 蔵書印・書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。
《自筆上部の「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。い58-047 松村明 大辞林 三省堂。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。f24022006〇地租改正事業 能筆 明治新政府事業の一環新潟県が率先 24冊 全部240丁 新潟県 県令 楠本正隆宛 明治6年 越後国蒲原郡夏井村。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。C61-092 太平義臣傳 十三 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。Y3B3-240517 レア[女子新国語読本 巻4 昭和9年 1934年 安藤正次 東條操]菊池寛。)

「自筆原本」

自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。1845年 医道重宝記 検索⇒ 木刻本 金鑑 漢方薬 傷寒論 金匱要略 奇経八脈 黄帝内経 張仲景 李時珍 本草綱目 経絡経穴 千金方 唐本漢籍 支那。

自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。文化再刻 孟子 道春 点 全7巻4冊揃 古書 和書  ②E  1806年。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。陶心雲臨龍藏寺碑 隷書 文明書局 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。■『日本神字考』精緻寫本1冊。清國姚江沈文〇梅史譯。仝弟沈文〇蘭生校。日本神代文字に対し漢文基調で反駁した内容。寫本者不詳。。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。1937年 明治生命 軍用機資金献納報告書 検索: 日中戦争 日支事変 満洲事件 満州帝国 関東軍 新京 奉天 総督府 古文書 国民党 中華民国 支那。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。1934年 剣術教範 陸軍省検閲済 検索⇒ 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 範士 関東軍 傳書 戦陣 甲冑 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。荒木田末偶(菊屋末偶)著 本居宣長序『遷宮物語』(全三巻三冊揃)寛政2年跋刊 本居宣長に学んだ国学者 江戸時代和本。


《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。■『日本神字考』乾坤2冊揃。清國沈文○譯。佐賀縣士族・園田弘編輯。明治17年初刷。含章堂版。神代文字否定説。神代文字資料。割と稀本。。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。御文明燈鈔 釋道隠 5冊15巻揃 年 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本NS2。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。大正ビンテージ 開成館 普通教育世界地図 全 教科書 教材 古書 大正4年12月20訂正11版発行 TTH605。》

《なをかく》・・・・てはえす(過)くすましきを、思ひた(立)ち給ね。「美品」 長谷川小信(貞信) 木版 浮世絵 和本 浄瑠璃 佐和里都々一 他  ②E。
さりともうしろめたきこと(事)は、よも」と、か(書)いたま(給)へり。先駆け!/[痘瘡新書・手写本・68丁]/小野寺氏・八代壽人氏旧蔵。
入道、れい(例)のよろこ(喜)ひな(泣)きしてゐ(居)たり。0035532 大和事始 全7冊揃(本6+附録1) 貝原好古・編輯 平安城書房新刊 元禄10年・天和3年序。
かゝるおり(折)は、い(生)けるかひもつく(作)りいてたる、
ことわり(道理)なりとみ(見)ゆ。☆E0341和本江戸天保13年(1842)伝記「名家略伝」4冊揃い/山崎美成/千賀淵蔵(千賀春城)/古書古文書/木版摺り。こゝにも、
よろつ所せきまて思ひまう(設)けたりけれと、
此御つかひ(使)なくは、やみ(闇)のよ(夜)にてこそく(暮)れ
ぬへかりけれ。C61-077 三体千字文 書き込み・記名塗り潰し・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。めのと(乳母)も、この女きみ(君)のあはれに
思ふやうなるをかた(語)らひ人にて、よ(世)のなくさめに
しけり。■『詞之緒』(Kotoba no itoguchi) 田近長陽(陽一郎)著。帙入4冊。■附録「田近陽一郎(傳)」付。大正14年刊。■神代文字関連資料。。おさおさをとらぬ人も、るい(類)にふれてむか(迎)へ
とりてあらすれと、こよなくおとろへたる
みや(宮)つか(仕)へ・・・・《なとの》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。1932年 満洲国 写真帖 検索⇒事変 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 鄭孝胥 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 張景恵。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。長谷川伸旧蔵書 吉野真保著『嘉永明治年間録』(全十七巻二十冊揃)明治16年 我自刊我書/古書保存書屋/甫喜山景雄刊 明治時代和本。


《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》

《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》

《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす》

《(源氏の君)「海松、いつとても変らず水中の岩陰に隠れているそれと
同じように、寂しい海辺に暮す姫君は、今日の五十(い)日(か)の祝いを、
またあやめの節句を常の日と変りなく迎えるのであろう。太宰治『誰も知らぬ』昭和23年 ロッテ出版社刊 初版本。
心がそちらへ浮かれて行きそうなくらいです。武者無類 月岡芳年の武者絵 ■ 歴史魂編集部【編】 月岡 芳年【画】 アスキー・メディアワークス 126ページ ■ 2012年10月3日 新品同様。
やはりこのままでは》・・・・過されまいから、思いきって上京しなさい。民国期 王良常 篆書 千字文 求古斎 検索⇒支那 中国書道 書法書 法帖 金石篆刻 唐本漢籍 古籍善本 古墨 拓本 印譜 魏碑帖 碑刻 漢碑 経折本。
いくらなんでも気づかわれるようなことは、けっしてさせまい」
とお書きになってある。易経 商務印書館 検索⇒ 漢文 唐本漢籍 古籍善本 支那 道教 道徳経 南華真経 黄庭堅 伏羲氏 周易 八卦 太極 陰陽五行 王重陽 全真教 清静経。
明石入道(明石の姫君の祖父)は例によってうれし泣きをしている。1929年 柳公権玄秘塔 大楷 文明書局 検索⇒唐本漢籍 法書道 法帖 支那 印譜 金石篆刻 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版。
このようなときは、生きているかいもあったと、べそをかいているのも、
無理からぬことと思われる。松山棟庵『地学事始』(全3冊揃)明治3年 慶應義塾蔵版 彩色木版画多数入(世界図・国旗)明治時代和本 古地図。
 ここ明石のほうでも、万事、所狭いくらいにお祝いの準備を
していたのだったが、このお使者がなかったら、まさに闇夜(やみよ)の
錦(にしき)よろしく、はりあいのない有様でその日も暮れてしまうところだったろう。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第8号 明治25年 大倉書店 松本楓湖 津江秋芳]織田信長。
乳母(めのと)も、この女君(明石の君)がやさしく申し分のないお方であるのを
話し相手として、日々の憂さを慰めているのだった。持明院流 筆道大家 【中村暲山】持明院流傳統師範『書』双福 掛軸〔紙本肉筆真作〕門下:工藤洲玉箱書/書法家 書家 和様書道 古文書 掛け軸。
この乳母にさしてひけをとらぬ身分の女房も、縁故をたどって
京から呼び迎えているが、それらはすっかり落ちぶれはてた
宮仕(みやづかえ)・・・・・《人(びと)などで、世を厭(いと)うて巌(いわお)の
中にでも隠れ住みたいと思っていたところ、たまたまここに落ち着いたという
程度の者たちであるが、この乳母(宣旨の姫君)はたいそうおおらかで高い気位を持している。富田寛編『趣味の万華鏡 第参冊』限定50部 昭和15年 濱松蒐楽会刊(静岡県浜松市)宮尾しげを 大川如水ら 戦前期の刷物趣味誌 商標ラベル他。》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。C61-067 春木版 浮世絵版画集芳 全体的に汚れ・破れ・折れ多数有り レトロ。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。Y3B3-240517 レア[改正増補 文證大全 益永晃雲 名和竹堂 三版 完 明治30年 文証大全]博覧会見物ヲ約する文。


《Channel Buoys (澪標)》
"I am quite consumed with longing.
You must be prepared to leave Akashi.
It cannot be otherwise.
I promise you that you have not the smallest thing
to worry about."
The old man's face was a twisted shell once more,
this time, most properly, with joy.
Very elaborate preparations had been made for the
fiftieth-day ceremonies, but had these envoys not come from
Genji they would have been like brocades worn in the night.
The nurse had found the Akashi lady to her liking,
a pleasant companion in a gloomy world.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。神坂雪佳顧問 川那邊行吉編『魁』(2冊=第1号、3号)明治33-34年 魁成舎刊(京都市) 染織図案誌。


《航(澪標)》
我今身在京都,神往明石。長谷川伸旧蔵書 岡本一平画 坪内逍遥題字『新水也空 俳優の部』限定325部 昭和4年 文藝春秋社/座右宝刊行会刊 歌舞伎役者絵集 岡本太郎父。此居,令人堪。柳公権玄秘塔 上海求古斎 経折本 検索⇒玻璃版 珂羅版 唐本漢籍 支那 印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌 趙子昴。
望早作决心,来此相聚。C61-062 龍泉式靈息統一法講義授録 靈息統一学會発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。此万事妥善,一切无。C61-072 書學階梯 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。”
明石道人照例喜而泣。荊棘室随筆抄 昭5 臨済宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OM。此机,感激太甚,
怪他要哭的。東洋平和ニ関スル 聖詔集 陸軍大臣 荒木貞夫 陸軍省 昭和8年記(発行年不明) ※ヨゴレ傷みあり。他家里也正在祝五十朝,排十分体面。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第6号 明治25年 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]藤原利仁。
没有京中使者看到,便似衣夜行,太可惜了。Y3B3-240517 レア[和本 医学・薬学メモ帳? 天保2年上旬 集合書取本]。
那乳母看明石人切可,就做了的伴,
忘却了一切,在宅内笑度日。求道者に興ふる書 元田作之進 大9 日本聖公会 キリスト教 新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前OB。
前此明石道人也曾托人物色了几个身不低于乳母的女人来使。■『叡覧か奈づ可ひ變聲音符(並字音假名變聲圖解)』片岡哲著。明治43年刻成。黄山音符講堂藏版。和装本。神代文字参考資料。。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「澪標の巻」原本の末尾(原本番号36-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。「浄土真宗 百通切紙」/延宝9年笠岡浄心寺明伝編/天和3年発行/4巻2冊本(改変?)。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。Y3B3-240510 レア[萬物雛形画譜 4編 明治14年 鮮斎永濯 万物]猿田彦神。冬姫は内大臣・通誠の養女。講談社の絵本★「漫画と孝行絵話」昭和13年5月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 久米元一 芳賀まさを 講談社。
冬姫は通称。Y3B3-240510 レア[工業図式 4編 明治16年 幸野梅嶺 幸埜楳嶺]義士復讐 牛若 兎の大手柄。正式な名は伊達貞子。★0481和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「明眼伝記」1冊/尾州馬島明眼院/津軽進藤良策/古書古文書/手書き。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。頑馬令 昭15 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。太閤記肉筆画帖(仮題)上方繪師画(暁鐘成、松川半山、速水春暁齋カ) 末尾に明智光秀の辞世の句と戒名を記す。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。C61-066 壁書解説 復刻版・蔵書印・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。C66-10 9 新式速成 囲碁独習書 破れ・全体的に汚れ有り レトロ。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。古文書 和書 「衆成笠間誌」 笠間誌 笠間時朝 歴史資料 郷土資料 茨城県 偉人(レターパックライト発送)。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。★0570和本江戸期関ヶ原の戦い写本「関原正譌/附録三方原戦誌」全1冊/古書古文書/手書き/新井白石/上毛桐生街長澤仁右衛門の蔵書印。筆者は近衛関白政家公。■『神字考』酒井勝軍著。昭和11年國教宣明團。竹内文献信奉者が説く最も鮮烈且つActivityな論旨の【神代文字】擁護論。是に優る本無し。。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。利未記講義 BFバックストン 明治37 日本聖公会 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント ルターカルヴァン戦前福音書OD。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。1939年 名器百図 珂羅版 上下2冊 茶道 茶碗 検索⇒ 茶室 茶筅 茶席 茶事 茶会 茶道家 茶釜 原色図鑑 玻璃版 茶道具 茶壺 茶聖 茶経 茶の湯。左の写真は、桐壺の巻の奥付。吉田竹次郎編『日本郵便切手類目録』明治28年刊 明治時代和本 明治4年~20年代の郵便切手集 明治中期の郵便資料。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。Y3B3-240510 レア[武家必用 甲冑着用早学 軍陳随一之書 上下 まとめて2冊セット 練武館]東照宮御麾之図。上下2段の花押のうち、上の印は。C61-095 太平義臣傳 九 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―13B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料

下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。★0485和本天保3年(1832)「馬島流眼科医学写本」5冊/津軽/進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する


上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。花押印彙 検索⇒ 金石篆刻 印存 法書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 丁敬 篆印 趙之謙 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。襖絵は俵屋宗達




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」



1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。太田櫛朝筆 小池源次郎彫 福山碧翠撰『坂神聯合第二回燐票大会』大正9年 神戸互楽会刊 彩色木版画譜 神戸放光庵 燐票愛好会 マッチラベル。



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。森本木羊子『仏頭集』(2冊)限定50部 昭和29年 森口太郎 木版画集(紺紙金泥摺)仏教美術 仏像 法隆寺 広隆寺 中宮寺 平等院鳳凰堂 中尊寺。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。明治期ビンテージ 中央新聞付録 錦城斎 貞玉講演「官員小僧」 壱〜大尾 全14部構成 TTH605。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。写本 瘍科方筌 医学書 江戸時代 処方箋 漢方学 検)西洋医学東洋医学 蘭学 薬学 オランダ 阿蘭陀 鍼灸 杉田玄白 古書和書古文書古本NZ。

漢詩文原文上部には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。Y3B3-240517 レア[新編女子書簡文例 全 明治33年 中邨秋香]花見に誘ふ文。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。『満州事変の体験談と教訓及所見』昭和8年 偕行社刊 満洲事変 満洲国資料。紫式部が「澪標」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「澪標の巻」を書いていることがわかります。太閤記 四巻上 織田信長 木下藤吉郎(豊臣秀吉)・中條小一郎(家忠)・森可成(蘭丸父)・池田勝三郎 木版 絵本 草双紙 浮世絵。この原詩の言葉の引用は、「澪標の巻」に用いられていることで広く知られている。石川丈山 (号:六六山人)『漢詩書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/安土桃山~江戸初期の武将 文人 三河国出身 大坂の陣後 牢人 / 古文書 掛け軸。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。泰山印選 検索⇒ 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。何苦楚 昭15 4巻7.8号 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。梅園春男著 本居豊穎序『形状言五種活用図 全』明治7年 泰民堂刊(栃木県)形容詞論 国文学者 国学者 国語学 明治時代和本。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。★0542和本江戸期医学写本「小児薬方/金瘡口伝養性集ほか」1冊/古書古文書/手書き。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。近江彦根藩領出流原村古文書●明治19年 赤見村地誌編輯材料取調書 63丁 下野国安蘇郡赤見村 現在の栃木県佐野市 240131 148。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。☆E0324和本江戸享保10年(1725)儒学儒教「童子習」全1冊/浅見文次郎訓点/古書古文書/木版摺り。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。工藝 78号 “文字” 柳宗悦 日本民藝協会 機関誌 1,000部限定/伝統工芸 民芸運動 棟方志功 芹沢銈介 鈴木繁男 王羲之 書聖 蘭亭序 漢書 漆。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 秋冬]。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。白衣観音大士神呪 唐本漢籍 検索⇒中華民国 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 佛教 木刻本 筒子頁 経書 写経。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。完品『小倉百人一首』大正3年 大日本国風会刊 彩色木版画譜 池辺義象・阪正臣・千葉胤明・小野鷲堂・加藤義清・大口鯛二。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。■二葉亭四迷 ■『片戀』(片恋) ■「奇遇」「あひびき」収録 ■春陽堂刊  ■折込口絵あり。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。■八切史学『天の日本古代史研究』八切止夫著。昭和57年初版凾帯。日本シェル出版発行。斯界諸説を換骨奪胎する泰斗。神代文字論も言及。。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。小原鉄心『鐵心居小稿』弘化4年 有竹詞屋蔵梓 江戸時代和本 漢詩集 美濃大垣藩城代 鉄心居小稿。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。C61-071 紋の志をり 全体的に汚れ・折れ多数有り・状態悪い レトロ 貴重。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。古文書 和書 「後三年軍記 (乾 坤)」 奥羽軍志 歴史資料 奥州 奥羽 東北(レターパックライト発送)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。孫忠靖公文抄 3冊揃 孫伝庭撰/王欣欣 明治4 中国史 明末反乱 高迎祥 王嘉胤 中華王朝漢文中国詩文漢詩 検) 戦前明治大正古書古文書写本NY。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。旧約聖書 小預言書講解 2冊揃 堀内文一 日本自由メソジスト教会 キリスト教 新約聖書旧約聖書 検)神学宗教学カトリック プロテスタントOA。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。長谷川伸旧蔵書 鈴木啓之(三門博)編 長谷川伸序文『浪曲新作集』昭和24年刊。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。★A40和本明治42年3版大倉書店ちりめん細工古書「裁縫おさいくもの」1冊/共立女子職業学校/伊藤文子ほか。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。石井研堂編『日本漂流譚 第二篇』明治26年 学齢館刊 明治時代和本(和装活字本)彩色木版画入。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【B0044P016】希少 古書 象山佐久間先生櫻賦附詩 明治15年 日本文学 象山佐久間先生桜の賦 佐久間象山 古本 書籍 骨董品 古美術 古物 珍品。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。河蛙考 文政九年 写本。撮影後、展示のために再表装をしております。戦前沖縄の貴重な写真!/[沖縄文化の遺宝/本篇と写真篇の2冊1組/鎌倉芳太郎著]/琉球絵画/琉球の工芸。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。池田文太郎翁 (秋田県仙北郡高梨村)  後藤寅之助(後藤宙外)編 昭和5年 和装。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。和本「百家説林」全10冊揃 明治23~25年初版 江戸時代の諸家の随筆/雑考 挿絵 (古文書 資料。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。川田孝吉編『明治新撰帝国無双玉篇 全』明治28年 上田屋蔵版 印記「長野県北佐久郡平原学校」明治時代和本(銅版本)漢字字典。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。講談社の絵本★「漫画と教育講談」昭和13年4月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 長谷川町子 講談社。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。黙示録の現代研究 千葉勇五郎 昭10 バプテスト派 日本基督教団 キリスト教 新約聖書 神学宗教学カトリックプロテスタント 戦前明治大正OA。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 雑 文政]。額縁は新品です。松亭金水作 歌川国麿画『春情心の多気』(全3編揃)江戸後期頃刊 艶本 江戸時代和本(薄葉紙本)絵入本 浮世絵。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。肉蒲団(一名覚後禅)情隠先生編 4冊揃 明治期 道元 禅宗曹洞宗 仏教 検)仏陀 因果応報 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。浅井了意『鎌倉北条九代記』(全十二巻十二冊揃)延宝3年 渋川清右衛門版 江戸時代和本 鎌倉時代・北条執権時代の日本史書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。平洲全集 高瀬代次郎 大正10年 /Y上。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(3冊セット=第2冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。1823年 傷寒論 漢張仲景 検索⇒唐本漢籍 李時珍 古籍善本 木刻 脈経 千金方 孫真人 金匱要略 本草綱目 黄帝内経 彫版 支那 難経 神農本草経。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。C61-093 太平義臣傳 七 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。J24021705〇闢邪小言 4巻4冊揃 大橋順(訥庵) 安政四年 幕末尊皇論〇和本古書古文書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。羽鳥文作旧蔵書 清水浜臣編『近葉菅根集』(全5冊揃)文化12年刊 森鴎外「羽鳥千尋」のモデルとなった羽鳥千尋の父 江戸時代和本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。☆E0313和本江戸期「日本書籍考/経典題説」全1冊/林羅山/古書古文書/木版摺り。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。長谷川伸旧蔵書『蒙古寇紀 全』限定1000部 昭和6年 元寇弘安役六百五十年記念会(賀茂百樹)刊 肥前松浦家所蔵本複製版。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。増山守正著 久保田米僊画『旧習一新』(全2冊揃)明治8年 川勝徳次郎他刊 明治時代和本 彩色木版画多数入 文明開化を描く。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。肥田式強健術/創始者・肥田春充/古今東西の体育法・健康法を研究し「強健術」を考案・気合術を基礎とした体育法で心身の改造を目的とする。母は後水尾天皇皇女女二宮。伊勢貞丈『貞丈雑記』(4巻5冊セット=巻1~4)天保15年 岡田鼎蔵版 江戸時代和本 有職故実書。実母は近衛家女房(瑤林院)。浄土論隋釈 月珠 嘉永7年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 真宗大谷派 NR。幼名は多治丸。仙傳抄 上下巻セット 日本華道社 仙伝抄 田中重太郎 岡田幸三 昭和56年発行 日本華道社 池坊 華道 生け花 古書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。番附 御免力持。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。中金正衡『大倭語学手引草 前編』(全2冊揃)明治4年 自笑軒蔵版 元袋付(浮世絵師・歌川国員)明治時代和本 日本語文法書・国語学書 国学。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。白虎通徳論。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。古文書 書簡 辻永 つじひさし 中山森彦 宛て 水戸市 白馬会 帝展 日展 文化功労者 洋画家 植物画 封筒付き(レターパックライト発送)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。高島嘉右衛門編『清国大家書集』明治35年 高島嘉右衛門刊 明治時代和本 中国書家・書道資料 中国清朝。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。引札 紙巻たばこと葉巻。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。小田島孤舟『歌集 秋遅草』昭和13年 杉風会刊(岩手県盛岡市)著者直筆献呈署名入 花巻市出身の歌人 萬鉄五郎の同級生。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。竹林哲・豊原善作編『机頭小圃/墨窓小品』(全4冊揃)明治13年 青木恒三郎刊 漢詩集/彩色木版画譜 明治時代和本 中国趣味 煎茶趣味。


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